戸時代のはじめ、仙台藩の重臣・片倉家に仕えていた熊谷家の先祖は、新田開発のため北上川の河口地域に移り住みました。
それからずっと私たちは北上川の恵みとともに生きてきました。
江戸時代には藩からサケ漁を許されて利益をあげ、知行高が加増されました。洪水の際には、私財を投じて土手の普請を行いました。
大正時代には大規模な河川改修のため、集落や田畑の移転も経験しました。
明治から昭和初期にかけて行われた大規模な河川改修によって、ヨシ原はより広大になりました。
ヨシ原は集落ごとに管理され、ヨシは屋根や土壁の小舞(下地材)、ヨシ簀、海苔簀の材料、馬や牛の飼料などに幅広く利用されました。
当時、ヨシ刈りは農閑期の仕事として大切な生活の糧であり、地域のつながりであり、屋根や壁の材料であり、人びとの日々の暮らしにとって、ヨシは欠かせないものでした。
高度成長期に近代的な造りの民家が増えると、集落で余ったヨシを屋根材として出荷するようになりました。
職人も減ったため、葺き替えの仕事の依頼も増えていきました。
1960(昭和35)年、宮城県の旧有備館を皮切りに、民家だけでなく文化財の葺き替えも手がけ、事業を拡大していきました。
しかし時代がバブル経済へと向かう中で、古い民家の建て替えが一段と進みました。
しだいに個人から入っていた葺き替えの注文が減っていき、このままでは茅葺きの仕事には未来がないように思えました。
地元のかけがえのない財産・北上川のヨシを利用して、もっと茅葺きの仕事をしたい。
そんな願いから、1993(平成5)年、有限会社熊谷産業が設立されました。
法人化によって、しだいに職人の道を志す若者たちが、門を叩くようになりました、地元だけでなく全国各地から貴重な人材が集まりました。
ヨシ刈りの現場でも機械化を進めています。デンマーク製の大型刈り取り機械が導入され、より効率良くヨシ刈りができるようになりました。
全国の文化財の葺き替え工事の仕事も、順調に増えていきました。
北上川河口に息づく、ヨシ刈りや地域のつながり、収穫したヨシで屋根を葺くという、ヨシでつながる文化を守り、職人には新たに国内外の若手たちへ熟練の技とヨシ原の文化を受け継ぎながら、新たなものを作り出していきたいと思います。
絶え間ない努力のもと、私たちは着実に歩みを進めています。