和23年に家業として、茅を主体に刈り取りと販売を始めました。
私の代になり、屋根葺きをはじめました。しかしあくまでも、田畑を耕し、牛を飼い
シジミ漁の漁業権を持つ家業の一環でしかありませんでした。

日本は経済成長で、こぞって家を立替え、そのおかげで茅葺屋根(かやぶきやね)が
すくなくなり家業としてやっていくのが辛くなったために
一時は茅葺きをやめようと考えた事もありました。

しかし、平成5年に有限会社として熊谷産業を設立し、世間の逆を行き、茅葺きの
民家はもとより、萱葺職人ももはや、希少価値となった時代にそれは大きな賭けでした。

ヨシと山芽の刈り取りから屋根葺きまで全工程を手がけていたおかげで
今では材料であるヨシと山芽を持って全国各地の一般の民家は勿論ですが
文化財の修復まで手がけられるようになりました 。
会社組織にした事により若者の雇用も可能になり、年配の茅葺職人ばかりの現場も
若い茅葺職人(かやぶきしょくにん)のおかげもあり活気がでてきています。

しかし、3月11日に発生した東日本大震災の大津波は石巻の河口から北上川を遡り、橋を分断し、
ヨシ原、河川周辺の町全てを呑みこんでいきました。
その際に観測した遡上は、約50kmと言われており、日本国内では過去に例が無い数値だったようです。

かつては、屋根、スダレ、土壁の小舞い材料として、一本も残さず刈り取っていました。
刈り手の減少で、全部刈り取ることは無くなりましたが、昨年までは35,000束から40,000束
建坪50坪の民家を7棟から9棟、全面葺き替えることが可能な量を刈り取っていました。

本来、追波川護岸沿いに群生していた河口部から十数kmまで広がっていた
国内屈指の広大なヨシ原は互助組織「結」によって人工的に保全しておりましたが、
この度の震災の影響によって、全てが地盤沈下したために
その群生していたヨシ原の凡そ7割が水没しましました。
また、ヨシ原保守をしていた「結」に所属する各部落の人達も津波に飲みこまれ
集落の大半も流出してしまいました。

その為に今後、ヨシ原の保守が継続的に行えるかどうかすら困難な状況に陥っています。
現在では、刈り取る人材も企業もヨシ原の整備までは
手が回らない状況且つ、予算的にも困窮している現状です。
人が手を施さなければ、この葦原の管理は難しく、自然任せのままになってしまうと
近い将来、葦原ではなく、全くの野原になってしまうと予想されます。

ヨシやススキを刈り取ることで、北上川や里山の環境浄化や維持に役立ち
文化的にもこの時代に絶やしてはならないと思うがゆえに
割りの合わない試みに投資しておりましたが
今回の東日本大震災が更に追い打ちに拍車をかけ
調達はおろか、今後の管理さえも危険にさらされております。

今は復興に向けて一歩づつ、着実に前進していくしか現状を打破する手段はないのですが
広大且つ良質なヨシ原を、未来永劫維持していくために弊社は今後も鋭意努力していきます。

かやぶき屋根工事 天然スレート葺屋根工事 有限会社熊谷産業 熊谷会長
被災前のヨシ原風景
そして被災後のヨシ原